乗り込んだ燕行きの車内の様子。日射しを避けて、みな左側に座っている。
東関屋でいったん下車。また乗り鉄のことは忘れて、乗車してきた列車を撮るため、「ちょっと待ってて」とS氏に言い残して先頭のクハ45へ駆け寄る。やれやれとばかりホームで佇んでいるのがS氏だ。
東関屋で下車した目的は車庫の見学で、許可をもらって構内へ。今では考えられないが、当時は国鉄を含めてどの鉄道でも、断れば車庫を自由に見学させてもらえたものだ。
雑然と言っては失礼だが、ごちゃごちゃと部品が転がる車庫は、なぜか心躍る。
廃車体と車庫が一体化していた。外吊りにはなっているが、扉も流用したものに違いない。
構内入換用の移動機。車体には「秋田木材株式会社 機械製作所 昭和27年」との銘板があった。新潟交通が直接発注したとは思えず、秋田からどういう経緯でやってきたのだろうか。
これも移動機だが、ダットサントラックの運転席から前の部分を切り取って載せている。ここまでくるとゲテモノの類で、後日、この移動機の写真を大学鉄研の連絡帳に「おもしろい車両がいた!」と貼っておいたら、先輩が「最新型だね」と、思わぬ書き込みをしてくれた。
曰く、
・前面一枚ガラス
・シールドビーム
・ワンハンドル
なるほど、そのころの鉄道各社の新型車で流行していた仕様で、なんとも粋なコメントであった。
この移動機の由来もわからないが、おそらく車体更新はお手の物の新潟交通のことだから、古くなった移動機の車体を載せ替えたのだろう。でも確かにハンドルらしきものが見えるので、もしかして軌陸車?・・・のわけはないか。